「なるべきだ」を伝えることの難しさ

2022年が終わり、2023年も2ヶ月目に突入した。

夏が終わり、秋が来たと思ったら急に寒くなり、
街がかぼちゃに包まれたかと思いきや、あっという間に緑と赤の世界に変わり、
そして「今年もお世話になりました」という言葉で溢れていた。

大晦日、元旦、節分、バレンタインデー、そしていま。

こうしてまとめてみると、あらためて言葉というのはとことん人を雑に扱うものだなぁ、と思う。

だからこそ、慎重になる必要がある。
特に多くの人の前で発するときは。

とある炎上案件を見た。
その炎はいまもとどまるところを知らず、国境を越え、欧米にまで広がっている。

Twitterを見て、かなり燃えているな……と他人事で見ていたのだけれど、
僕の心が、ストーブにあたりつづけて熱くなっていく洋服のように熱くなっていく感じが苦しくなって、そっと画面を消した。

「なるべき」を伝えることは難しい。
少なからず反発が生まれるから。

だから「ならないようにするべきだ」と言う人は少なくない。

本当はこう言いたい。
でもこう言ったら反発がある。
自分の身が危険にさらされる。
だから「ならないようにするべきだ」と言う。

「若者が生きやすい社会にするべきだ」ではなく
「若者が生きにくい社会にならないようにするべきだ」……

でも、「なるべきだ」と「ならないようにするべきだ」の間には、おそろしいほどにおそろしい断絶がある。

社会の断絶と、自分との断絶だ。

なんて苦しいのだろう。

だからABEMA Primeを見ていると、僕の心も縛られていく気が、本当に本当にする。

難しいね。
もっとこの二重の鎖に縛られないように……そう、僕は「なりたい」になりたいね。

この人と一緒にいたい。
ここに行きたい。
これが食べたい。
この仕事がしたい。

たくさん「なりたい」という気持ちを持って、生きていきたい。
言葉に、僕のことを丁寧に扱ってもらえるように。

というわけで、今年の目標は「なりたい」になるです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

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