「言い方」に配慮がない人は、知らず識らずのうちに誰からも頼られなくなる

社会人を何年も過ごしていると、いろんな人と出会う。

気がものすごく合う人もいれば、そうではない人もいる。
長く付き合いたいという思う人もいれば、とりあえずトラブルにならないように無難に付き合って、いい感じのタイミングのときにさよならしたい人もいる。

経験上、後者に多いのが、「言いたいことはわかるけど、もう少し配慮してもいいのでは?」と思ってしまう言葉を使ってくる人だ。

こちらの行動を真っ向から否定する人。
厳しい言葉だけを言い、何のフォローもない人。

こういう「言い方」がキツイ人は、はっきり言って、一緒にいるだけでストレスになる。

とはいえ当人も気づいていないことが多いので、改善するのは難しいと思う。

もしそのようなことを言う人がいれば、表面上の付き合いだけにとどめよう。
頼れる人が他にいるなら、その人についていこう。
そうして、自分の心が消耗しないくらい程度の距離まで離れることをおすすめしたい。

逆に言うと、「言い方」に配慮がない人は、知らず識らずのうちに、誰からも頼られなくなるということでもある。

「言い方」に気をつける必要があるのは、相手を傷つけないためだけではない。
自分が孤立しないようにするためでもあるのだ。

僕も書店で働いていた頃、同僚に

「言っていることは正しいんだけれど、言い方がね……」

と、事あるごとに言われていた。

当時は、仕事では、正しいことをはっきりと伝えるのが大事だと思っていた。

なぜ言い方に気をつけなければならないんだ。
包み隠しながら伝えても、その人のためにはならないではないか。

そう思っていた。

「言い方が……」と言った同僚は優しかった。
特に後輩には、厳しいことをあんまり言わなかった。

もちろん、まったく注意しないわけではなくて、きちんと言うべきことは言っていた。

僕も同じように、言うべきことを言ってきた。

でも、同僚のところには常に後輩が集まっていて、僕は怖がられていた。
明らかに、後輩の僕に対する“頼り方”と、同僚へのそれが違った。

当時は、不思議でしょうがなかった。

あるとき、同僚とこんな話になった。

入社したばかりのレジ担当の後輩の接客態度があまりよくない。
ブックカバーを折るのに夢中になることが多く、お客さんに気がつかないことが多い。
どうしたらいいか。

書店でブックカバーをつけてもらう人は、ブックカバーの上下が内側に折られているのを見たことがあると思う。

あれは、必ずしも、折られた状態で業者から送られてくるわけではない。

僕のいた書店では、文庫用や新書用のカバーは事前に折られていたものの、それ以外のサイズは一枚の大きな紙の状態で入ってきていた。

文庫・新書以外でカバーをつけるのは、だいたいB6か四六版で、B5やA5はときどき、くらい。

それほど多く種類はないので、多分この書店のオープン当初からいる先輩方の間で、

「だったら、紙の上下を本の高さに合わせてあらかじめ折っておいて、ストックしておこうよ」

と、なったんだろう。

それを、レジの人が、お客さんが来ない時間にやるのが習慣だった。

ただ、お客さんは、どんなに暇な時間でも、ふとした瞬間にやってくる。

ついついブックカバーを折るのに夢中になっていると、

目線が手元にいっているので、お客さんがレジの真ん前まで来たところで、初めてお客さんの存在に気づく
慌てて顔をあげて、「いらっしゃいませ」と言う
カバーを折るのをやめて、接客をする

……というのをやってしまう。

本当は、常に顔を上げていて、お客さんがレジに近づき始めた段階で「いらっしゃいませ」と声をかけ、余裕をもって対応するほうがいい。
そのほうが愛想がいい印象を持ってもらえるから。

カバー折りは大事。
折られている状態のものがなくなったら、やっぱり困る。

でも、もっと大事なのはお客さんだ。
カバーを折るときは、お客さんにすぐに気づけるように気をつけなければいけない。

後輩は、カバー折りに夢中になりやすく、お客さんに気づかないときが多かった。
隣のレジの人が代わりに接客するのは、しょっちゅうだった。

まあ、どう見てもよろしくない。

では、どうしたらいいのか。
意見を求められた僕は、こう言った。

「やめましょうと言っても困惑するだけだから、理由をきちんと言うのがいいんじゃないかな?

お客さんに『自分に気づいてもらえない』と思わせるのはよくない。自分だって気分が悪いでしょう? あなたが最もやらなければならないのは、丁寧にお客さん対応すること。カバーを折るのも大事だけど、今のあなたはそうではない。何を一番にすべきなのか考えましょう。

という感じで」

僕としてはベストな答えを出したつもりだった。

だけれど、僕の性格をよく知っている同僚は、案の定、怪訝そうな顔をしていた。

そして、

「言っていることは正しいんだけれど、言い方がね……」

とやっぱり言った。

結局、僕の案は採用されず、同僚が注意することになった。

後輩はまもなくして、接客態度を少しずつ自分なりに見直し始めた。

それだけでもすごいことだけれど、僕が驚いたのは、それ以外のところの変化だった。

これまで先輩スタッフとほとんど話さなかったその後輩が、同僚にだけよく声をかけるようになったのである。
同僚にすっかりなついて、仕事の相談をしたり世間話をしたりし始めたのだ。

当時は、これが謎だった。

同僚と自分の差は何なのか…?
なぜお互いに正しいことを言っているのに、こうも後輩の態度が違うのか?

まったくわからなかった。

でも、キツイ「言い方」をする人と付き合うことで、はじめてわかった。

要するに、仕事では、厳しいことを言うのが大事なときもある。

けれど、言葉を選ばなくていいわけではないのだ。

全部を包み隠さずに言うのがいいかどうかは、配慮があるかどうかにかかっている。

配慮があれば、言われた人も、この人は安心だと感じてくれる。

誰だって常にキツイことしか言わない人より、優しい言葉を言ってくれる人のそばにいたい。

それと、配慮していると、その言葉を耳にした人にも同じ現象が起きる。
「この人は優しい」「この人は、きっと自分にも気遣ってくれるだろう」と感じるからだ。

だから、人が集まってくる。

現に、同僚が後輩の対応をしてから、レジに入っている他のスタッフも、同僚によく話しかけ、仕事の相談するようになった。

顕著だったのはお客さん対応に困ったときで、「どう対応していいのか」と相談できるスタッフは僕も含めて数人いたが、まず頼るのが同僚だった。

逆に配慮がないのであれば、結果として当事者はもちろん、当事者ではない人も離れていく。
「きっと自分も否定されるんだ。できる限り、近寄らないようにしよう」と。

仕事人としては良くても、誰からも頼られず、孤立する。

今は、直接会わずしてコミュニケーションを取るのが当たり前になっている。

多人数が参加するメッセージツールを使うことも多い。
多くの人の心を、簡単に自分の言葉で動かすことができてしまう。

大事な人を知らず識らずのうちに失わないように、常に慎重にならなければならない。

最後に、僕なりに有効だと思う配慮の態度を示しておく。

1.まずは感謝し、褒める
相手は良かれと思っていてやっていることがほとんど。とにかく最初は、やってくれたこと自体に「ありがとう」「素晴らしい」「きちんとやってくれて助かる」と言う。

2.よりプラスの提案をすると前置きする
相手の行動を否定せずに、「こうなるとさらによくなる」と伝える。あくまで提案する、という意識で。

3.具体的な改善案を示す
単に「直してほしい」では、相手は何をしていいのかわからないし、こちらが望む行動に取るとは限らない。具体例を出しながら、明確に伝える。

4.理由を伝える
なぜそれがいいのか、客観的な理由を添える。

以上、参考になれば嬉しく思う。

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