先頃、とあるテレビ番組で、若い世代はハッシュタグ検索が当たり前という内容を見た。
今は、知りたい情報の多くは、Google検索よりもハッシュタグ検索で探す。
ハッシュタグ検索とは、検索窓に検索したいキーワードの前に「#」を入れてサーチを行う方法である。
なぜハッシュタグ検索をするのかというと、彼(彼女)たち曰く、そのほうが、リアルな感想や意見を知ることができるからだそうだ。
実は、同じ検索キーワードでも、Google検索とハッシュタグ検索では、表示される検索結果がまったく異なる。
簡単に言うと、Google検索では、的確な情報が無駄なく綴られた記事たちが検索の上位に並ぶ。
一方のハッシュタグ検索では、主に個人の投稿が雑多に並ぶ。
Googleは、ある意味“親切”で“丁寧”だ。
検索者のニーズを満たし、かつ正しい情報を閲覧者に見てもらいたいという意思がそこにはある。
だから、たとえば旅行したい場所で検索すると、市の観光協会のウェブサイトや、大手旅行サイトが投稿しているおすすめスポットのまとめ記事などが真っ先に出てくる。
ところが同番組に出演していた若い方は、「大人が書いたまとめ記事は、若者には刺さらない」という。
皮肉なことに、閲覧者にとってよりよい情報を届ける仕組みゆえに、閲覧者が離れている現象が起きているのだ。
それに比べれば、ハッシュタグ検索で得られる情報は、“雑”である。
もちろん、僕は否定的な意味で言っていない。
むしろこの雑さが、身近さとなり、惹きつける要因になっているんだろう。
ダイレクトな言葉が聞ける。
直接的な感想を聞ける。
それはGoogle検索では満たされない。
なるほど。
たしかに、それは薄々感じていた。
それでも、僕はそのテレビ番組を見たとき、ショックを受けた。
僕はGoogle検索が主体で、ハッシュタグ検索はほとんど使わない。
いつの間にか、流行から、とんと遠いところに立っていた。
気づかないうちに、自分の感覚が古くなっていた。
それを思い知らされたからだ。
こうやって、僕もズレていくんだろうな。
流行りに常についていきたいという欲求はないけれど。
でも、このままだと、今の年配の方のように僕も批判される可能性は十分にあるのだ。
「今はもうそんな時代じゃない」って。
嫌だな。
じゃあ、どうすればいいのか考えてみると、やっぱり“若い世代と常に遊ぶ環境”を作ることが第一だと思う。
一時の交流じゃ不十分だ。
ただジェネレーションギャップに驚いて、終わってしまう。
常に一緒の時間を過ごして、彼(彼女)たちの当たり前を自分の当たり前にしていく。
こういう関係を構築するためには、世代間で生じるあの独特な違和感を、お互いに覚えないような相手を求め続けていかなければいけない。
それは今の日常生活では到底難しいから、根本を変える必要がある。
難しいし、大変な努力がいる。
けれど、自分の当たり前でお互いが不幸にならないようにするためには、身につけるべき態度だと僕は思う。
特に、主体的に何かを発信するとか。
あと、上の立場に立つ人とかも、あったほうがいいだろう。
テレビによく出る年配の方が、「まだそんな感覚でいるのか」と批判されているのを見ると、本当にそう感じる。