2020年はあっという間であった。
毎年、この日になると、同じようなことを思うのだが、特に今年は早かった気がする。
とはいえ、これも偶然か。
今年は毎日その日にあった出来事を、簡単にではあるが、手帳に書き付けていた。
それを見返すと、結構いろんなことがあったんだと振り返られる。
たとえば、初の署名記事が今年の1月に公開された。
随分前のような記憶だが、思えば大きな出来事だったように思う。
そこから5月くらいまでは、事業承継メディアを中心に記事を執筆し続けた。
その後、6月から10月くらいまでは、ほそぼそと別ジャンルのメディアに寄稿。
初めて単価交渉を試み、成功したのもいい経験だった。
そして11月からは、一気に仕事の内容が変わった。
メディアのディレクションを任されるなどで、報酬も1本いくらというより月額単位となった。
しかし、それで、ライターとはまた違った責任感が生まれた。
「フリーランスとしてお前は生きていけるのか?」
そんな問いを、常に投げかけられているような毎日だった。
最初は慣れず、さまざまな方からお叱りの言葉や、注意の言葉を受けた。
フリーランスは、いい意味でも悪い意味でも自由だ。
間違っていることや、ダメなところを指摘されることは少ない。
というより、それをしたら付き合いがなくなるだけ、というのもある。
だから、きちんとダメなところはダメと言ってくれるのは貴重な経験だと思っている。
2021年を生きるために必要なことを、事前に知れたことは大きい。
プライベートも振り返ってみよう。
お義父さんの弟さんが亡くなったのも、今年の1月だった。
数回しか会っていないが、お義父さんが亡くなったときにいろいろ話した記憶がある。
僕の両親が、丁寧に挨拶してくれたことを今も鮮明に思い出せる。
緊急事態宣言の発令を機に、妻が家にいるようになったので、本格的にDIYを開始。
キッチンを中心にリメイクシートを貼るなどをした。
今年の初めと比較すると、随分様変わりした(引っ越しのときに大変そう…笑)
それから、オンライン飲み会も何度かした。
これはこれで面白い経験だったが、同時に普段の飲み会にはない疲れも味わった。
世間的に、この飲み会のスタイルは浸透しているのだろうか。
今も続けている人は、どこに楽しみを見出しているのだろうか。
最後に、心残りだけ話しておこう。
これは2021年早々にやっておきたい目標でもある。
今年1月に、ミライズマガジンというメディアからお誘いがあり、4月あたりから寄稿を始めた。
ミライズマガジンとは何か、についてはこちらのページを見ていただきたいが、簡単に言えば小説や評論などを通して、未来の姿を描くことをコンセプトにしたWebマガジンである。
その未来の姿は、まるっきりのフィクションではなく、きちんとした理論にもとづくものだ。
イメージをイメージだけにとどまらせることなく、緻密に、説得力をもたせて描いていく。
そういうコンセプトだと僕は理解している。
各作品ともに非常に歯ごたえがあるので、気になる方はぜひ見ていってほしい。
さて、そんなミライズマガジンに寄稿を始めているのだが、僕の場合は全5回の連載ものとなっている。
タイトルは、『未来社会における時間認識の姿』。
科学技術が発展することで、日本社会には、さまざまな時間認識を持つ人が現れる。
そのズレによって社会は分断され、お互いにストレスを感じ始めるようになる。
そうした未来を生き抜くための解決策として、私たちはどのように時間を向き合ったらいいのか、今後何をすべきなのか。
日本人特有の時間認識をあらためて把握した上で、時間認識と自由という観点から模索している。
本来なら今年中に完結する予定だったが、最後の章だけがまだ書けていない。
ひとつ着地点は見出しているものの、はたしてそれが有効なのか、じっくり検証しなければならないと感じているのだ。
2021年の早い段階で、なるべくひとつの形にしよう。
とりあえず来年の目標はそれである。
では、今年のななどりはこのあたりで。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
余談にはなるけれど、今日宅配便のおじさんが、我が家に最後の荷物を持ってきてくれた。
名前の確認とサインという変わらないやり取りをしたあとに、「よいお年をお迎えください」とお伝えした。
おじさんは、少し驚いたが、丁寧に頭をさげて、「来年もよろしくお願いします。よいお年を」と言ってくださった。
今年は、特に大変な年だったと思う。
夏の暑い日もマスクしながら宅配して、大晦日にも宅配してくれている。
宅配のおじさんには感謝しかない。
ありがとうございます。