君はいつまで時間に振り回されながら生きるのか。
時間というものに向き合い始めると、いつもその問いに突きつけられる。
社会は僕の生活環境に一定のルールを敷く。
税金の振込票が届いたら、そこに記載されている期日までに一定の金額を支払いなさい。
燃えるゴミは◯曜日に出しなさい。
今週中に(今月中に)与えられた仕事を終わらせなさい。
もちろん、これらは社会で生きていく以上、僕たちが守らなければならないルールだ。
そのルールを意図的に無視すれば、社会から突き放されても何も文句は言えない。
では、その抗いようのない力はどこから来るのか。
間違いなく、根底には時間がある。
一方で、ではそれが時間=社会たらしめる力とするのは違うように感じる。
ほんの一面しか捉えていないだろう。
なぜなら、社会が変わろうとも、すべての時間がガラリと変わるわけではないからだ。
時間は、とてつもない強大な力を持っていて、それを肌で感じつつも、正面から見ても輪郭が捉えられない、まるで影のような怪物だ。
社会から見た時間は、まだそれの足元だけを見ているようなものだろう。
あるいは足跡のみ、か。
でも仮に、もし正体が明かせなかったとしても、それこそが彼の魅力だと、僕は今感じている。
君はいつまで時間に振り回されながら生きるのか。
これは僕にとって、社会生活を過ごす中で疲れを感じ、ふと出てきたネガティブな言葉ではない。
社会を超える彼に挑み続け、活力を与えてくれるポジティブな言葉なのだ。