僕の友だちに、JAM FUNK BAND「Muff(マフ)」でギターを弾く、Maaくんという人がいる。
その彼が、シアトル出身のバンド「The Polyrhythmics(ポリリズミックス)」のライナーノーツを担当した、ということで読んでみた。
↓↓Maaくんがライナーノーツを担当したCDはこちら↓↓
The Polyrhythmics『Man From The Future』日本限定デラックス・エディション2CD
彼とはもう10年以上一緒に遊んでいる間柄で、ときおり酒も酌み交わす。
SNSでもつながっていて、彼がどんな文章を綴るのかも投稿内容から知っている。
彼の言葉選び、語り口は個人的に好きなほうだ。
今回の文章も楽しく読ませてもらった。
先に断っておくと、僕はMaaくんと違ってプレイヤーではないし、音楽に造詣が深いかと言うとそんなことはない。
だから、彼とは、音楽について直接しみじみと語り合うことはこれまでなかった。
せいぜい彼が音楽仲間と語り合っているのをそばで聞くくらい。
(それでも知り合うきっかけはMuffのライブなのだから、不思議なものである)
ライナーノーツを通してではあるが、Maaくんの音楽に対する態度と、真っ向から対峙できたのは新鮮だった。
特に、この二文が印象に残っている。
「個人的に受けた曲の印象をできるだけシンプルに下記へ解説してみた。音楽を言葉で表現するなんて、何の意味も持たないかもしれないけれど、アルバムを丸ごと楽しめるきっかけになってほしいという願いを込めて。」
音楽を言葉で語るのは意味のないことかもしれない。
Maaくんの、音楽に対する真摯な態度が伝わる文章だ。
言葉で語られていないものを語る。
うん、それはたしかに野暮かもしれない。
だけれど、ここはライナーノーツという場所だ。
そうであっても、あえて筆を進め、言葉で表現することが許された場だ。
ならば、なぜMaaくんは、「何の意味も持たないかもしれないけれど」と断りを入れたのだろう。
僕が思うに、それは“あえて”ではない。
「語ることに意味がないかもしれない」という言葉は、それを書き記すことでアルバムへの自らの態度を示そうとしたのではなく、アルバムに対する思いから自然と書き記した言葉なのだ。
逆に言えば、語ることに意味がないのかもしれない、しかしそれでも、なお言葉で語りたいとそのアルバムに思わせられたこと、そこに働いているものは何なのかを見過ごしてしまうのはもったいないかもしれない、ということだ。
――
僕たちは他者に思いを語るとき、だんだんと思いが強くなって、身振り手振りが大きくなることがある。
あるいは、知らず識らずのうちに声が大きくなることもある。
ときに感極まって涙したりすることもある。
それは役者やお笑い芸人のように意識的に行われるときもあるが、日常では無意識のときが多い。
あとになって、身振り手振りをしている自分、涙を流している自分に気づくことがほとんどだろう。
もちろん身体だけじゃない。
語りによってヒートアップし、思ってもみないことを口にしてしまうこともある――内容の良し悪しは別として。
僕たちは、“言葉は人間のもの”であると常々思いがちだ。
だけれど、語りによって思いが強くなり、何か自分の奥底にあるものが突き動かされ、実際に漏れ出てしまうことが往々にしてある。
(ある人は、それを魂の働きと言うかもしれない)
逆説的だが、言葉が思いを強くさせ、同時にその強さを証明する。
その意味で、僕たちは言葉によって生かされている。
僕は、「言葉によって生かされている」というのは、これから重要なテーマになりうると考えている。
なぜならそれは、言葉に、事実を真実たらしめ、共同体を形成する力があることを指し示しているからだ。
あの人が真実を言っているから、みんながついていくのではない。
あの人の言うことにみんながついていくから真実となる。
言葉の力に気づいた人は当然強いのだけれど、重要なのはそこではなくて、逆に気づいていない人があっと言う間に強者に飲み込まれてしまうというところにある。
だけれど“言葉は人間のもの”と思っていると、言葉によって形成された真実や共同体に抵抗するのは難しい。
抵抗できるはずなのに、うまくいかない……それだけが無情にも突きつけられる。
誰かの言葉を聞いたり、情報を目の当たりにしたときに、不必要な不安を抱えたり、嫉妬を覚えたり、ときに騙されたり損をしたりするのは、そのせいだろう。
だから、今こそ言葉の力と向き合うべきだと思っている。
もちろん他者を動かす巧みな話術を身につけよ、という話ではない。
今自分の目の前にある真実と呼ばれている出来事や所属している共同体が、誰のどんな言葉によって形成されているのか見直すときに来ているのではないか。
ライナーノーツの最後には、このように綴られている。
「我々Muffも、どんどん加速する時代の波に足元をすくわれることなく、どっしりと構えながら自分たちの音を育てていきたいと、改めて気付くことのできたアルバムだった。」
彼の言う「どんどん加速する時代の波」は、まさに言葉によって形成されている事実や共同体と同義だろう。
彼にとって、このアルバムは、言葉の力を見直すきっかけのひとつになったのではないか。
ゆえに、「何の意味も持たないかもしれない」と書き記さざるを得なかったのではないだろうか。
――
繰り返しになるが、僕は音楽に対して深い知識を持っているわけではない。
恥ずかしながら、The Polyrhythmicsというバンドも、初めて知った。
それでも、
「初めてこの作品『Man From The Future』を聴いた第一印象は「なつかしい」だった」
「ついつい酒が進んでしまう染み渡るギタープレイなのだ」
「細部までしっかりとアレンジを練りこむ几帳面なバンドの性格が伺える」
こうしたフレーズを読むたびに、ついCDを再生したくなる。
そして実際に聴いてみると、不思議なことに――常にとは言わないが――違う味わいがある。
彼の才であるほかない。
だから、勝手ながら、このライナーノーツはThe Polyrhythmicsファンにも刺さるだろうと思っている。
もっと言うと、彼の「なつかしさ」に共感できるのならば、彼もThe Polyrhythmicsも知らない人にも刺さるのではないだろうか。
ぜひ、彼の文章に興味がある方は、CDを購入して読んでみてほしい。
音楽を聴き、文章を読み、また聴いて、また読む。
そんなふうに、彼の文章を音楽と同じように何度も味わってくれたら、ひとりの友人として嬉しく思う。