コーヒーフロートが、どうしてもうまく食べられなかった。
僕は、どちらかと言うと、食べ物はそれなりに食感があるほうが好きだ。
ご飯はカタめがいいし、麺もバリカタがいい。
だから、コーヒーフロートのアイスクリームも、溶ける前に食べたい。
冷凍庫から出したての、あのカタさを味わいたい。
でもスプーンですくおうとすると、アイスクリームはただただコーヒーの中にずぶずぶと沈むだけ。
悪戦苦闘を繰り返している間に、どんどん溶けていく。
コーヒーを先に飲めばいいのではないか?という話でもないのは、わかっていただけるだろうか。
困ったことにコーヒーフロートのコーヒーは、それなりに量がある。
だし、コーヒーはじっくり味わいたいというのもある。
というわけで、アイスを満足に食べられるくらいまで飲んだら、アイスはもはや原型がない。
でろでろだ。
とんでもなく。
で、最近やっと気づいたのだけれど、コーヒーフロートは「とりあえず」の食べ物(飲み物?)として受け入れるべきなのだ。
「とりあえず」満足するために、「とりあえず」頼む。
「とりあえず」アイスクリームを楽しみつつ、「とりあえず」コーヒーを飲み、それを「とりあえず」繰り返す。
そんな「とりあえず」の連続で成り立っているのが、コーヒーフロートなのである。
この「とりあえず」という言葉は、僕の中で結構気に入っている言葉だ。
今日はとりあえず、この「とりあえず」という言葉が、わりと今のSNS時代には必要なんじゃないかと思っていることについて、ちょっとだけ語りたい。
SNSが普及した現代では、どんな人にも、特定の人に向かって直接発言できる権限がある。
同時に、批判がよく生じる。
しかもその批判は、恐ろしいほどに強烈だ。
でも、批判があることも、それが強烈なのも、僕は防ぎようのないことだと思っている。
まず、批判がある点。
これは誰かに何かを言いたくなるのは、自分の常識に反しているときが多いからだ。
見知らぬ人が自分と同じ常識を持っているとは限らない。
SNSにはそういう見知らぬ人がたくさんいる。
だから、何かを言いたくならない方が不思議でもある。
自分の常識は実は誰かの非常識、逆に自分の非常識が誰かの常識、と自分に言い聞かせている人もいるだろう。
でも、いざ批判するときは、往々にして自分が常識に則っていると思っているときだ。
自分が間違っていることを言っていて、相手が正しいことを言っているから批判するというのは、なかなかレアである。
むしろ後述するように、批判は正義感から行うケースのほうが多い。
次に批判が強烈な点。
たとえば、スーパーのレジ待ちの列にきちんと並んでいるときに、平然と横入りしてくる人がいたら、僕たちは心の中でその人をボコボコに言うだろう。
上述したが、僕たちは興味のない人間や顔の見えない人に対して、恐ろしいほどに強烈に批判する。
SNSの場合は、それが表に出やすい環境にある。
匿名というのもあるが、これは自分と同じ気持ちを持つほかの人たちがいると確信できることが大きい。
SNSでは、炎上というのが起こる。
炎上は、埼玉学園大学の小島弥生・古澤照幸が著した紀要論文『インターネット上の炎上への関与に刺激欲求が及ぼす影響』によれば、「一般的に、ある人物がソーシャルメディアに書き込んだ情報に対し、不特定多数の人々からの批判的なコメントが殺到し、収まりがつかない状態」を言う。
同論文では、炎上に関わる行為は、現状に対する不満をぶつける「祭り」の要素と正義感からの「制裁」の要素、これらふたつの要素が交互に作用することで起きるとしている。
また、参加者の多くの人が炎上に関して容認しているという結果もある。
「みんながやっている」「みんながそれを正しいと思っている」「みんなが認めてくれている」というのは、驚くほど多くの人に発言のパワーを与える。
SNSではそのパワーが簡単にもたらされ、我慢の限界のハードルをあっさりと下げてしまう。
リアルだったらできるはずの我慢が、SNSでできなくなる。
多くの人はなんとか我慢をできているだけで、強烈な批判の言葉を心には秘めているのだ。
だから一切合切、トゲトゲしいセリフや皮肉たっぷりの文章が噴出しないほうが稀有である。
もちろん、僕は批判や炎上の存在を肯定しているわけではない。
平和に、穏便に済むなら絶対にそっちのほうがいい。
でも、そもそもの環境が、否定の意見や美しくない言葉をどんどん思い浮かばせるところなのだ。
僕はわりとこの環境の影響は、批判したり批判されたりしたことがない人にこそ、大きいのではないかと思っている。
だから、ただタイムラインをざらざらと見ているだけなのに、どことなく疲れることが多い人に、次のことを提案したい。
SNS上での付き合いは「とりあえず」にとどめる。
SNS上での飾られたその人を見て、「とりあえず」楽しむ。
SNS上の発言を見て、へえ…こんな意見もあるのか、と「とりあえず」驚く。
これはSNS上で知り合った人やこちらから一方的にファンになった人だけでなく、リアルでもつながっている友人に対しても同じでいいと思う。
結局のところ、SNSで発信された発言や映像などのコンテンツを通して関わりを持っているだけで、その人自身とはつながっていないからだ。
ある意味ではつながっているけれども、ある意味では無関係な関係。
ならば、その流れに逆らわずに、「とりあえず」付き合うのがストレスフリーだろう。
表面をただなぞるだけの関係であれば、自分の常識と照らし合わせることもなくなる。
もし今、SNSを見ることが多いが、何か嫌なところばかり見えて疲れてしまう……と悩んでいたら、ぜひ「とりあえず」付き合うことを試してみてほしいと思う。
ちなみに友人と「とりあえず」付き合うと聞くと、何か薄情な気がするかもしれない。
でも、まったくそんなことはない。
僕はコーヒーフロートが「とりあえず」の連続で成り立っている食べ物(あるいは飲み物か)だと気づいてから、アイスのカタさが気にならなくなった。
逆に、こいつは不器用なヤツなんだと思うようになった。
店員さんに注文したときや、テーブルの上にやってきたときの、あのワクワク感を素直に楽しめるようになった。
「とりあえず」付き合うは、むしろその人の本当の良さや意図を冷静に、客観的に知る大切な態度でもあるのだ。