「テレビが面白くなくなった」
そういう声を聞いたことがあるだろう。
もちろん、これはテレビに限ったことじゃない。
ほかの情報源も同じ。
Facebookだって、あれだけみんなやっていたのに、今はほとんど使われていない。
Twitterだって、YouTubeだって、直接聞いたことはないけれど「面白くなくなった」と言われていると思う。
TikTokも、僕はやっていないし、あまり知らないけれど、もう一部では言われていそう。
今流行りのClubhouseだって、気づいたら言われているんだろう、きっと。
僕は、情報源の面白さは、方向性と密度によって決まるのだと考えている。
自分の考えに沿った内容。
自分がストレスなく受け取れる程よい濃さ。
これらの要件を満たす情報源に対して、面白さを感じ、日常的に利用する。
そして多くの人に広まり、面白さを加速させる。
そう考えると、情報源そのものは何も変わっていない。
テレビは、「面白くなくなった」わけじゃない。
最初から何ひとつ変わっていない。
じゃあなぜ、「面白くなくなった」という僕たちは言うのか。
それは、僕たちが、情報源よりも優位な立場にいることを、自分自身に言い聞かせたいからだ。
情報と同じように。
たしかにテレビを主体的に捨てたかもしれない。
でも、気がついたらGoogleのおすすめ記事を見ていないか?
気がついたらTwitterでイベントの情報を手に入れていないか?
気がついたらYouTubeで面白い動画を見ていないか?
僕たちは、結局のところ情報源に振り回されている。
自分たちは、情報源を取捨選択する側ではない。
自分たちが主体で、情報源が客体ではない。
「面白くなくなった」は、この事実に、必死に抵抗したい気持ちの表れなんだろう。