2021年になった。
あけましておめでとうございます。
2020年最後の投稿で、あっという間に時間が過ぎていった感覚があることを話したけれど、そういうのがあるからなのか、どうも新年を迎えた感じがしない。
一応、お雑煮を食べたり、初詣を(ひっそりと)やったりと、正月らしいことはしたのだが……。
そのように振り返ってみると、多分ほとんど家から出ていないことが原因だと思った。
特に、駅前まで出ると、それが顕著だ。
商店街では、正月なら正月っぽい音楽が流れている。
迎春と書かれたポスターも目に入ってくる。
店先には、正月飾りが丁寧に飾られている。
今までは何も思わなかったけれど、今年はそうしたものを見なくなったことで、正月が僕の中から「ほとんど消えて」いた。
思えばクリスマスだってそうだった。
駅前や繁華街に出かければ、クリスマスの音楽が聞こえてきて。
クリスマスセール的なのが目に飛び込んできたりして。
それでクリスマスっていうイベントの存在を肌で感じていた。
去年の12月はそれがなかったから、どうにも存在感が薄い。
人によってはハロウィンもそれに当てはまると思う。
(ハロウィンはもともと、それほど僕の中でビッグイベントではなかったので、正月やクリスマスに比べて「ほとんど消えた」感は薄いが……)
時間が過ぎるのが妙に早かったのは、それが理由なのかもしれない。
意外と、外に出ることで季節というか時期の移り変わりを感じていたんだなと。
これは、よくよく考えるとおそろしいものだ。
周りの環境によって、移り変わりを感じる。
ということは、周りの環境次第で、僕の時間に対する感覚はいくらでも変えられてしまう。
自然に、気づかぬうちに。
さすがに、クリスマスシーズンに夏祭りの飾り付けをしていたら、季節が全然違うので違和感を覚えると思う。
でもクリスマスシーズンに、ある商店街が当たり前のように正月の飾り付けをし始めたら、それはそれで受け入れてしまうかもしれない。
そしてもし、その商店街の数が少しずつ増えていったら……おそらく僕の中でクリスマスは完全に消滅する。
逆もしかりである。
こう考えると、どうも心が穏やかではなくなる。
またそれは、無性にワクワクするクリスマスが消滅するとか、日本人の大切な正月がなくなってしまうからだけではないようにも感じている。
自分は時間をはっきりと認識しているという自信が、崩れて落ちていく感覚。
しっかり掴んでいたはずの時間が、手のひらからするりと抜けていく感覚。
2021年は、受け身になってはダメだ。
そう僕は思う。